Nelili

2018年11月28日

人には生活の過程(家庭)で自らの死生観を考える時間が必要だ。

生きるについて、何のために生きるのかの答えはもうすでに知っているというのに。

物事の本質というものは観測できる事象と必ずしも=にはならない。むしろ本質的な部分はある意味対極的なことになりうると考える。

創造の本質は破壊であり、記憶の本質は忘却であるかのように。

人は生まれながらにして生涯、自分が何を成すかを大人がわかりようのない言葉で、ただひたすらに宣誓する。

人はそれを産声と呼ぶらしい。

私が叫んだ産声の、生まれてきたときにはしっかりと覚えていたはずの答えとは。

特に意味はないが、それでもコンビニに晩御飯を買いに行くまでのこの時間だけはそれだけに浸っていたいと思っている。

Nelili、特に意味はないが。

特に意味はないんだ。

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